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「フラワーオブライフ」完結によせて

完結記念。
この展開をどう受け止めるべきか、と1週間くらいうだうだと考えてしまった。
3巻までに描かれた[何気ないけどキラキラした、もう二度と戻ることない日常]を
そのまま引き継ぐかとの淡い期待もあったけど、やっぱりこれはよしながふみの作品、だった。
結局どの登場人物も、たとえトラウマがあっても、なかなか就職できなくても、恋人に裏切られても、
明日の命を保障されなくても、日常は続き、それなりに生きてゆくしかない。
彼らが住んでいると思われた[どこかにありそうでけれどもどこにも無さそうな、ある種の楽園]は
やはり何処にも無く、あるのはひたすらに現実だけなのだということが淡々と語られるのみの最後に
せめてフィクションの世界だけでも大団円のカタルシスを味あわせてくれよ、と不満に思う人が
いるのも理解できる。
賛否両論あった同じ作者の「西洋骨董洋菓子店」の最後ですら、ニ度、三度読めば
[登場人物達は出口を見つけたわけじゃないけど、物語の初めとは確実に違う所に立っている]ことが
伝わってきたし、そこに救いを見出せたというのに。
あまりにも余白の多すぎるこの作品の終わり方は、しかし私達に様々な思索の時間を与える。

たとえば、私が春太郎のお姉ちゃんの問題について真正面から考えられない事実。
引き篭もり、という現代にある一定数以上確実に存在する人たちは、
もしかしたら自分の家族かもしれないのだ。もっと言うと、自分なのかもしれないのだ。
それを頭のどこかで理解していながら、私は目を逸らして項垂れてしまう。
お姉ちゃんが春太郎に叩きつけた言葉の1つ1つにどうしようもなく頷けてしまいながら、
実際にはまともに向き合えないのだ。
問題は根深いね、と頭の先をちょっと掠めただけのような空疎な言葉で終わりにしてしまいたくなる。
3巻まで「若造たちよ、大いに悩め」とニヤニヤしながら読んでたのになんという体たらく。
結局はただじっと頭を下げて、不都合な時間が過ぎるのを待つだけで、
ほんと「大人になったくらいで何が変わるよ?せいぜい駅の階段で息切れする位だ」((C)ハチクロ花本)なのだ。
これにはやられた。やられ過ぎて顔が上げられない。
そしてまた、こんな大人を、春太郎のお母さんの言葉を借りて厳しく批判してくれたりするのだから、
もうもう…ほんと、すみません…
この作者の仕事に対する考えというのは数々の対談や「愛すべき娘たち」第4話のエピソードなどで
十分承知しているつもりだけど、それを踏まえた上でこの春太郎のお姉ちゃんのようなキャラを
描けるのはすごいことだと改めて思った次第。(と更にお茶を濁すとか、どんだけ・・・)

それでは救いがまったくないのか?というとそれはもちろん違う。
1巻において、「自分の言葉が周りにどう影響するかをまったく
思いやれないとしたら馬鹿で子供で無神経」だと斉藤先生に言われた主人公の春太郎が、
最終巻では[正々堂々とすること]と[相手を思いやって秘密を打ち明けないこと]の
折り合いをつけられるようになる。三国も、真島も彼らなりに成長を見せる。
(もちろん真島は他に比べてまだ危なっかしいけど、その危うさもまた作者の上手さだ)
私はそれをとても嬉しく思う。
人との距離の取り方を測りかねて悩んでいる中高生くらいの子が、これを読んで
色々と気を楽にしてくれたら良いな、とも思った。
大人ならではの問題で悩むのは、大人と見られる年齢になってからで良い。
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あぁしかし最終話一個手前の、「フラワー オブ ライフ」の件は
鳥肌が立った。「西洋~」において橘が
「俺はこの日を待っていたんじゃないのか?」と呟いたときも
ぶるぶる来たけど、また再び同じくらいすごい読書体験が
出来るとは思わなかった。しかも、単純に同じ作者の漫画を
読んだってだけなのに、と考えると幸福だなぁと思う。
まだ読んでない人は、是非2巻までだけでも読んでみて下さい。
珠玉の文化祭ネタに涙が出るほど笑って、
彼らはそんな楽園のような場所に住み続けるのだ、と夢想して
それ以降読まないというのもアリだと思うので・・・
(もちろん本当は最後まで読んで欲しいところですが)




6月7日 しつこく追記
このお姉ちゃんのように、やる気はあるのに磨耗されてしまった人を
救済するにはどうすれば良いのだろう?とまた考えた。
彼女を見てイライラする!と思ってしまうような人種が、ひいては現在の引き篭もり問題の
要因の一つを担っているのだと思うのだ。
たとえばユニクロとかなら男女比極端じゃないし良いんじゃない?とか
半ば本気で考えている自分。
でもこの話題は結局、自分自身にマホカンタしてくる話なのでもう考えるのを止めてしまいたい。
あと、この「フラワー オブ ライフ」の終わり方がいまいちすっきりしないのは
「西洋骨董洋菓子店」における橘から小野への謝罪のように、
相手にとってどうこう以前に自分が「あの時の自分の言葉はフェアじゃなかった」と
自覚するだけじゃなくて、それを伝える場面に乏しいからじゃないかとも思ったりした。
やったこととそのフォローのバランスが悪い気がする。
もちろんお姉ちゃんも春太郎もそこまでの余裕が持てない時点で話は終わってしまっているの
だから、そういう場面は無くて当然なのだけど。
でも結局家族だから、とかあいつ相手にどう謝れば良いんだよ、みたいな理由で
なぁなぁにされそうな気配を感じてしまってすっきりしないのかもしれない。
そういう意味でリアルというか、逆に納得がいくと言える終わり方なのだな、とも思う。
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by haruopus | 2007-06-06 00:15 | 漫画
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